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ご友人と将来住むことも一考というmao-gさん


転勤という社会システム,長寿になること,引退後も親が健在であることなど様々がご自分のこれからの住まいを決める際の要素になっていることをお話しいただきました.住まいの決定が,社会システムの影響を受けていることに気づかされ,かみしめています.


meg-gさん 煌めく返り花

プロフィールを教えていただけますか?

m:卒業してすぐ石油会社に就職して30年、その後他で10年位勤めて、会社員としての生活は終えました。

 その後、日本の路面電車を全部乗ったり、NPOの活動をしました。ふと自分の住んでいるマンションについて、築30年を超えて、このマンションやここに住んでいる人たちはどうなるんだろう、という疑問が出てきて、それを大学院で研究し始めました。

 自分なりに高齢者の生活や住まいに興味を持っていろんなイベントを渡り歩いていたときに、今所属しているNPOの方にたまたま出会って、今に至ると。

今どんな毎日をお過ごしでしょうか?

m:必ずNPOに使う日が週2日。会議や会合でけっこう週末が潰れる。

 まずNPOのために使う時間を決めて、それ以外を自分の他のことに使う。空き時間には読み聞かせと視力障害がある方への音読のサポートをやってます。11時ぐらいに寝て、年寄りなんで5時くらいに起きるという感じです。

お友達とかご近所の方、NPOの方たちとの交流など、人との交流を全体的に伺わせてください。

m:自分の高校大学時代を含め、非常に友達に恵まれたというのが1番の財産です。それから職場でもとても良くしてくださった先輩や同期もいるし。人との繋がりが1番希薄なのがご近所なのかな。それからNPOはどうしてもその事自体が仕事みたいなことが多いので、そういう部分での付き合いが多いですね。


将来の生活とか住まいに関してどのようにお考えでしょうか?

m:必ずしも夫婦、同居人が、自分と同じ考えではないということと、自分たちだけの生活を考える年齢にはまだ至ってないということです。

 それから我々団塊の世代は、入学や就職、転勤で、必要に迫られて住むところを動いているんですよね。つまり自分のふるさとがあったとしても、そこに住み続けるということではなく、移動しながら生活している。移動しないっていうことが保証されていない。

 例えば45過ぎて転勤ないならそれなりに考えられるんだけど、50になってアメリカとか行くわけですよ。で、よその会社と合併したりするとまた動く、っていうような。そういう不安連鎖みたいなものを前提として生きてきているので、終の棲家というものに対してきちっと考えない。先送りにして生きてきている。いざ定年になってからどうするかってなると親はまだ生きている。そこでまた問題を先送りにする、っていうかんじですね。

 極端にいうと親と自分とどっちが先でもおかしくないような年代に入ってきてますので。だから話はするんだけれども、だからといって、親が死んだらどうしようとかね、決定ができない。優柔不断なままずっと生きている。そしてその都度その都度状況が変わっていく、すると一番可能性として高いのは今のところに住み続けていくというのが否応なく出てくる。


最後の質問です。いま私は高齢者も入れるシェアハウスを作りたいと思っています。それについてはmao-gさんの修論を書いたお立場とか今の現状からどのように思われますでしょうか。

m:多分みんな思うことは、1人は寂しいし、1人でいる不安みたいなものを感じるから、誰かがそばにいてほしいんだけども、プライバシーは守りたい。そのときにシェアハウスとか、そういった形態というのが、本当に自分の意に沿う形になるのか、というところで悩むし、迷うのではないかと思います。

 私が、友人たちと住むのが良いのではないかっていうのは、言葉でいうと「ご近所以上親族未満」なんですよね。まず「他人」という前提があるけれども、ご近所的なマイナス面というものは本当に気の合う友人たちの間にはないんですよね。契約的な状況で友人たちとの関係を続けていくということが可能だよねと思う。

 そうはいっても順番にくたばっていくわけですよね。だから1人500万でも600万でも、とりあえず拠出して、最後は1人残った人間が、残った金を好きに使うっていうですね、なんかそんなことぐらい決めておけばいいかっていうふうに思うんですよ。

 生きてる間みんなで仲良く暮らし、誰かが病んで倒れて1人減る。するとだんだん寂しくなるけど、その部分は、思い出と金とで埋めてもらうっていう、そのぐらいかな。で、最後1人になりあるいは2人でもいいんですけど、もういよいよ俺らだけでも住んでてもなー、ってなったら、残りを資金の一部にしてどっか施設に入る、というような感じで元気なうちに生きていけると最高だよね、と思ったりします。

なんかすごい究極のとなり組みたいな感じですね。

m:うん、そうですそうです。いろんなところを私も見たんですが、あれはシェアハウスになるのかな?

 奈良の法隆寺にそういうのが1軒ありまして。駅からちょっと離れたところに建物を建てて、みんな出資して株式会社にして、みんな株主になる。出資額を均等にしましょうと。ただ、その人その人で住みたい広さが違ったりするので、そこの部分は共益費の前払いみたいな形でプラスアルファの金を積みましょう、っていう格好にして、均等に出したのは1人、四百何十万かな。1人住まいの人2人住まいの人いろいろいろで、プラスアルファ出して、広いところで60平米くらいのスペースを確保して、8家族かな。

かなり大きなお家ですね。


m:うん、で、庭で花野菜、それからちょっと離れたところに畑を借りて、みんなで野菜を作る、というようなことをやっている。

 ただ問題は、「代替わり」なんですよ。興味あるねっていう10人位の人が手を挙げ最終的には半数弱の人がそうやって一緒に住むということを選び、みんな高齢ですから何年か経てば体調悪くなったり亡くなったり、するとそこに別の人が入ってくる、するとなんでそんな畑なんかやんなきゃいけないんだよていう人も来る。一応話はしてても、心からそういう生活に同意してスタートした人たちとは違うわけですよね。

 それから、最初のスタートのときの意気込みと、だんだん年取って体が衰えてきてからの意気込みに違いがでてくる。

 いろんなバリエーションがあってもいいかなというふうには思いますが、日本の場合、特に住まいということになると、失敗は許されないとか、1回いっちゃったらそう簡単には変えられないよ、ってどうしても思うじゃないですか。だめならだめでまたねっていうふうにはどうしても住まいの場合はならない。

 そのへんがもう少し軽い感じで、物事をとりあえず決めてやってみるっていうようなことができるといいなーと思いますけどね。(さくみ,フッキー,あゆみ)

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