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6/24「煌めく返り花」が主催するオンラインおしゃべり会に参加

6/24「煌めく返り花」が主催するオンラインおしゃべり会に参加。

お題は「最後の晩餐は誰が決めるか」

誰が決めるって・・本人以外に誰が決めるというの。

仮に寿命を縮めたとしても "自己責任"である。 自分の親であれ、ペットであれ、本人の意思を尊重したい。 だって、人生はその人のものだから。


とは思うものの、人は1人で生きているわけではなく。 周りには、家族、友人、介護スタッフ、医療スタッフなど 様々な立場の人々が関係していて、そう単純な話ではないらしい。

人の数だけ、立場の数だけ考えかたがあって、 考えの近い人が集まれれば一番いいけれど、 家系図的、人間関係的に近しい人同士なら考えも近い、とは限らない。 そしたら・・譲れるところ、譲れないところ、を話し合いながら 折り合いをつけられるポイントを探るほかないのかも。 その時の手掛かりになるのは、やはり本人の意思のような気がする。

人に囲まれる選択、静かに過ごす選択。 胃瘻する選択、しない選択。 だって、人生はその人のものだから。

では、私の最後の晩餐は誰が決めるのか。

明日が最後の晩餐だったら、どんなお品書きをつくるのか。 ・・・これが全く思い浮かばないのである。 「どうしてもあれが食べたい」というこだわりが無いし、 「どうしても食べられない」ものもない。。 誰か適当に見繕ってくれないかな、と思うくらいだ。

まてよ。 ということは・・ 「尊重」なんて一見(一聴?)耳触りの良い言葉を選びながら 実は決断の現場から逃げているだけなのではないか。 自分の意思すら見失うくらい周囲の目を気にしてばかりいる、 弱虫な自分から目を背けているだけなのではないか。

「自分の意思を尊重してほしいから、自分も相手の意思を尊重するのだ」と 誰かが言ったけれど、私の場合は逆だった。

「相手の意思を尊重しすぎて真ん中が空洞になってるから、たまには 自分の意思も尊重しなよ。てか意思がどこにあるかまず確認しなよ」である。

もっと自分で自分の声を聞いてあげなきゃ、「私」さんがかわいそうだ。 だって、私の人生は私のものだから。

てなことを考え、内的会話を促された1時間。

いろいろな方のお話を聞けたからだと。ありがとうございました!


本日の参考資料メモ ・書籍:猫が幸せならばそれでいい ・映画:こんな夜更けにバナナかよ ・映画:老人がラーメンを食べるシーンがある→タンポポ?

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